水を貯めるたびに地滑り

〜埼玉の滝沢・二瀬ダムを歩く〜

田原廣美





 初めて滝沢ダムと二瀬ダムを訪れたのは2010年1月だった。埼玉で紅葉の名所として知られた中津峡は巨大なセメントの建築物に覆われ、見る影もなかった。
 ループ橋を昇って少し車を走らせると、ダム湖を一望できた。驚いた。底の方にわずかに水が貯められ、湖岸はおびただしいアンカーで覆われていた。
 アンカーとは軟弱な地盤が崩れるのを防ぐため、堅い岩盤まで鉄柱を打ち込んだ後、大きな鉄板を表土に被せてネジ止めする工法である。その姿は、全身に包帯を巻かれた重傷者のようだった。それは湖岸の地滑りが間断なく続いていることを示していた。
 滝沢ダムの案内板には周遊道路があったが、閉鎖されていた。柵の脇を擦り抜けてその道路を歩くと、あちこちに亀裂が走っていた。また、路傍の崖を見上げると、今にも石が落ちてきそうだった。

 私は3年ぶりに二つのダムを訪れた。滝沢ダムの状況は以前と同じだった。私はかねてから聞いていた。水を貯めるたびに地滑りが起き、毎年数十億円の湖岸工事をしている、と。
 次に、二瀬ダムの湖岸の上の民宿「梅林」に行って話を聞くことになった。3年前に「梅林」を訪れた時、主人の山中潔さんは二瀬ダムによってさまざまな被害が出ていると嘆いていた。実際、宿の前のアスファルトには亀裂が走り、車庫の壁はひび割れ、家の土台の所にも大きな隙間ができていた。
 山中さんによると、地面の亀裂により風呂桶が傾いて水が漏れ、直すのに200万円かかったという。また、床下には無数の地割れができて、大黒柱も大きく傾き、引き戸が閉まらなくなったと、そこを指さしながら説明してくれた。
 私は3年ぶりの山中さんとの再会を楽しみに訪れたが、その思いは裏切られた。「梅林」は閉鎖され、ひっそり閑としていた。山中さんは東日本大震災のあと、まもなく亡くなっていた。
 私はムダな公共事業のために平穏な生活を奪われた、山中さんたちの無念さを想った。
(2013年9月)




二瀬ダムの位置



地滑り傾いた柱を指で示す民宿「梅林」の山中潔さん(故人)=2010年1月撮影



大黒柱も傾いた=民宿「梅林」にて2010年1月撮影



建物の裏の石垣も崩れた=同



敷地のあちこちに亀裂が走った=同



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