日光の自然を守る会の運動を振り返る


日光の自然を守る会 副代表 横田 隆





 日光の自然を守る会は1970(昭和45)年に宇都宮大学で設立され、今年で43年となります。設立のきっかけは、奥日光の小田代原から西側にかけての、林野庁による原生林の伐採でした。
 それからの43年を振り返れば、日光国立公園における大規模開発が主要なテーマでした。主な運動を紹介します。

 1973年、裏男体(なんたい)有料道路計画に反対する運動を進めました。この計画は、推進派の市長が市長選で敗退したため中止になりました。

 1974年は、日光バイパス(日光宇都宮道路=日光道)の2カ所をトンネルにさせました。神橋(しんきょう)、大正天皇御用邸、東京大学付属日光植物園の南側を流れる大谷川(だいやがわ)対岸の鳴虫山(なきむしやま)の山麓です。

 奥鬼怒スーパー林道の問題にもとりくみました。運動の結果、1983年、鯨岡兵輔(くじらおか・ひょうすけ)環境庁長官(当時)の裁定を引き出しました。観光道路としては認めない、一般の車は入れない、という裁定です。その結果、このスーパー林道は、密猟者専用の、日本一利用されない税金ムダ遣い道路となりました。

 1985年は、日光市小倉山に計画された日光江戸村を、当時の藤原町、鬼怒川に変更させました。1989年、日光霧降ゴルフ場は、当時の守る会代表が日光市議として開発側についたため、造成されました。1993年、1500haにおよぶ最大規模の上栗山リゾート計画(事業者は東武鉄道)がバブル崩壊で中止。2003年には、塩那道路も維持費の問題で中止になりました。

 検証すべきこととして、守る会内部にも反対論がありながら、巨大開発に反対せず、調査に積極的に協力した事例が2つあります。ともに東京電力によるダム開発です。1974年から78年にかけての、今市(いまいち=現日光市)の月山(がっさん)揚水式発電所と那須塩原市の蛇尾川(さびがわ)揚水式発電所計画です。当時の守る会代表(元宇都宮大学教授、現100歳)は、「将来は、危険な原発が発電の主流になる。ダム問題は後世に評価を委ねる」と言い、現在の原発危機を予見していました。

 近年は大規模開発計画がなくなりました。守る会は、オオカミ協会との講演会や、30年にわたる奥日光での外来植物(オオハンゴン草)の除去作業などの環境問題にとりくんでいます。また自然観察会や奥鬼怒スーパー林道の継続的調査も続けています。

 今後の課題として、ゴルフ場などに大規模な太陽光発電施設が建設されることにより、除草剤による深刻な環境汚染が懸念されます。

(2013年9月)








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