“壮大なムダ”と自然破壊に込み上げてくる怒り

〜 八ッ場ダム予定地見学会 〜

日本消費者連盟 富山洋子



 2008年8月30〜31日、全国自然自然保護連合や日本消費者連盟など5団体が主催(後援は八ッ場あしたの会など2団体)して、八ッ場ダム予定地見学会が行われました。

 八ッ場ダムは、群馬県長野原町を水没予定地とする1952年に計画された巨大ダム事業ですが、地域住民はこの計画によって計り知れない犠牲を強いられてきました。

 1953年には、ダム建設反対の住民大会が開かれるなど、住民の強い反対運動と相俟って、当ダムに流れ込む吾妻川の水が強酸性であることからダム計画は、一時中断したかのように見えました。

 しかし、63年、草津町に中和工場が完成、64年運転開始、65年、群馬県は住民にダム建設を発表しました。

 73年、抵抗激しい八ッ場ダムの地元対策と言われた「水源地域対策特別措置法」(水特法)が公布され、同年には、吾妻渓谷保全を名目にダムサイト予定地が600m上流に変更されました。

 86年、八ッ場ダムは水特法に基づくダムに指定、建設に関する基本計画(完成予定2000年度)が告示され、94年、建設省(当時)は付帯工事に着手しました。

 01年、「利根川水系八ッ場ダム建設事業の施行に伴う補償基準」に水没5地区連合補償交渉委員会が調印、個別交渉が開始されましたが、完成は10年度に延長するとの基本計画変更を告示。04年、国土交通省は再度基本計画を変更、事業費を2110億円から4600億円に増額しました。
 そして、07年12月には事業工期は2015年度末と発表され、09年には本体工事に着手すると言います。

 ダムを作るためには、まず、水没予定地にある家屋や交通網を移転させなければなりません。八ッ場ダム事業では、水没予定地域住民の代替地を水没しない同じ地区内に用意する「現地再建ずり上がり方式」によって代替地計画が進められてきました。ところが代替地造成は遅れ、周辺よりはるかに高い高額な分譲価格のため、多くの住民が補償金を受け取って故郷から転出しました。 

 渡辺洋子さん(八ッ場あしたの会)、牧山明さん(酪農業・長野原町議会議員)に案内された水没予定地域では、立ち退かされた家屋の跡地や道路、吾妻線などの大がかりな付け替え工事や巨大な橋の橋脚、山を削った代替地の造成工事現場が、緑深い地域の中で異様な姿で迫ってきました。

 確かに橋や道路は人々の暮らしに欠かせない社会的基盤ですが、ダムができるからという理由で50年余り放って置かれた地域に、必要以上にカネがかけられています。例えば第2号橋の工事現場では、1本6億円という橋脚が4本も周辺の風景を侵すように立っていました。

 JR吾妻線の鉄橋は、併走する国道145号の付け替えに伴って架設された「めがね橋」(工費64億円、橋長457.6m・2車線)のアーチと調和させたというアーチが施工中です。肝心な鉄路はまだですが、いずれは撤去される大がかりな資材置き場が目に余ります。

 水没する県内最古(1911年建設)の木造校舎に変わって建てられた長野原第1小学校は、鉄筋コンクリート3階建て、屋内プール、エレベーターつきですが、すぐ上には砂防(防災)ダムがあります。つまり地盤が緩い危険地帯なのです。しかも砂防ダムは工事が完了していません。小学校の背面は山を削り、その殆どに「のり面保護工事」が施してあります。08年4月現在児童数は26人、1年生は1人です。

八ッ場ダム予定地の地盤は、浅間山の大爆発による大量の土砂によって形成されており、非常に脆いのです。
 また、硫黄を含んだ火山にしみ込んだ雨水は強酸性です。強酸性の川の水が流れ込む吾妻川の水は、ダムのコンクリート壁を劣化させます。それを防ぐために、中和工場を操業、投入した石灰を沈殿させるための「品木ダム」を作りました。これに伴う支出は年間10億円、沈殿物を浚渫・廃棄するための費用が同2億円とは、あらためて怒りが込み上げてきます。

 利水・治水にも無用でカネ食い虫の「ダムはムダ」です。
 八ッ場では、工事現場近くでカモシカの子どもを見かけました。人間は、発破をかけて動物たちの住処を奪いとっているのです。
本体工事を阻止して、荒廃した地域を再生させようという動きが始まっています。「八ッ場ダム事業を見直し、水没予定地再生のための法整備を求める」請願署名も続行しています。皆様も是非、ご協力下さい。
(2008年9月)


  *署名呼びかけ団体  八ッ場あしたの会



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