《仮設住宅》と《希望の牧場》を訪れて


田原廣美





 「つなぐ会」の吹上さんに誘われて、私は再び福島県南相馬市の仮設住宅を訪れた。「つなぐ会」は埼玉県川口市を拠点としている。埼玉県下で支援物資を集めては被災地の人々に直接手渡すという活動を震災後から月1回のペースで続けている。今回は車3台で9名が参加した。

 (2013年)12月20日、私たちはまず、飯館村の人々が過ごす仮設の集会場を訪ねた。中に入って驚いた。壁際には手作りの作品がいっぱい飾られていた。あたたかな気持ちが一気に伝わってきた。はたして、支援物資を広げると大勢の人がやってきて、さながらミニ市場になった。夕方の交流会にも、自治会長さんはじめ10人ほど来てくださり、和やかに歓談した。しかし、長屋風の仮設での生活は決して快適ではない。人間関係がバラバラになり、自治会の体をなしていないブロックもあった。

 最終日の22日は、事故直後立ち入り禁止になっていた20km圏内の《希望の牧場》を訪れた。原発から14kmの所にあるという牧場に着いてまず目に入ったのは、うずたかく積まれた大きな干し草の袋だった。長靴を履いて現れた吉澤正巳さんの話は衝撃的だった。

  「原発が爆発したのをこの牧場で見た。今、国から牛を殺処分して牧場を閉鎖するように言われているが、この400頭の牛と共に生き証人として国と東電と闘い続けるつもりだ。10頭の牛に白い斑点が出ているが、これは恐らく放射能の影響だと思う」

 まさに命懸けの闘いだ。性根のすわった人だと思った。

 吉澤さんはまた言う。
  「福島が原発事故でとんでもない目に会っているのに、なぜ日本人は原発ゼロに動かないのか。ドイツ人とは大違いだ」
 耳の痛い言葉だった。

 牧場を訪れた他の団体の人たちも心を動かされたのか、吉澤さんの帽子には10人以上の人からエールのカンパが次々と入れられた。後でわかったことだが、「つなぐ会」の仲間の一人は、帰りの電車賃だけ残して全部カンパしていた。
(2014年1月)




仮設集会場で支援物資を広げる



支援物資手渡し活動に参加した「つなぐ会」のみなさん



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