脱原発社会を実現するために


日本消費者連盟顧問 富山洋子さん に聞く






     日本消費者連盟(日消連)顧問の富山洋子さんは、長年にわたり消費者運動や反原発運動の先頭に立ってきました。全国自然保護連合の事務局もつとめました。「さようなら原発1000万人アクション」実行委員会の中心メンバーの一人でもあります。


消費者運動のきっかけ

     ──消費者運動にかかわったきっかけはなんですか。

【富山】東京・世田谷区の東北沢に住んでいたとき、地域の消費者グループに加わった。そこで野村かつ子さんと知り合った。野村さんは日本の消費者運動の草分け的存在である。生活協同組合の運動に戦前からかかわり、米国の消費者運動家ラルフ・ネーダー氏と交流し、海外の市民運動を日本に紹介された。
 1969年に日消連が創立されたとき、野村さんは創立委員の一人として尽力された。私は野村さんに誘われ、日消連創立のよびかけ文書をあちこちに送るのを手伝った。以来、私は日消連の運動にかかわるようになった。食べものの安全を求めるとりくみや合成洗剤追放運動などにも参加した。


通産省の廊下をデモ行進

      ──富山さんは1970年代から反原発運動の先頭に立ってきました。

【富山】1974年、東京電力の電気料金大幅値上げに反対して「旧料金で電気代を支払う」運動を繰り広げた。公聴会では私も発言した。東京電力に値上げの理由を問いただしたら、原油の大幅値上げと巨額な設備投資のためということがわかった。原発や送電線を建設するために値上げするという。そこで、「原発を建てるためのお金は払いたくない」との意思表示として、電気代を旧料金で払う運動を進めた。
 消費者の立場から反原発運動を展開したのは私たちがはじめてであった。電気料金の値上げに反対する運動は、北海道や広島、大阪などでもとりくまれた。運動のなかで、主体的に判断し行動する消費者がたくさん生まれた。
 この運動ではデモ行進もした。30人くらいで銀座や霞が関の周辺をパレードした。いまでは考えられないことだが、通商産業省(現経済産業省)の庁舎内でも行進した。「原発反対」をコールしながら庁舎内の廊下を歩いた。また東京電力本社のロビーに入り、送電停止の通告撤回と原発反対を主張した。このデモに参加したのは女性と子どもだけだった。そのためだろう。東電幹部は私たちに向かって「お前たちは烏合の衆だ」と言い放った。通産省が庁舎内でのデモ行進を見て見ぬふりしたのは、私たちをみくびっていたからだと思う。
 1977年には、日消連などのよびかけで第1回の反原発週間が東京でもたれた。
 1988年、私は日消連の運営委員に就任した。以来、遺伝子組み換えや使用済み核燃料再処理に反対する運動、憲法改悪を許さない運動など、さまざまな運動に深くかかわってきた。
 1994年には「ふーどアクション21」を立ち上げた。これは「食の自給と安全をめざす基本法制定のための全国行動」の略称である。基本法の試案を作成し、その立法化運動を進めた。また、食の自給と安全を確立していくための施策を農林水産省に提言した。


自衛隊が監視対象リストに記載

     ──かつて、陸上自衛隊情報保全隊による市民活動の監視が発覚しました。日消連も監視対象のリストに記載されていました。

【富山】日消連は反戦運動にも力を入れてきた。2003年、イラク戦争にたいする抗議文を日消連独自で米国のブッシュ大統領に提出した。自衛隊のイラク派遣にも反対した。そのためだと思う。自衛隊が日消連を監視対象のリストにあげた。それが2007年に発覚した。
 市民活動にたいする監視は、憲法で保障された思想・良心の自由や表現の自由、プライバシー権を侵害するものである。私たちは文書で厳重に抗議した。さらに事実関係の調査・公表や現場責任者に対する厳正処分、そして担当閣僚(久間章生防衛大臣)と自衛隊最高司令官(安倍晋三首相)の辞任を要求した。自衛隊のイラク派遣に反対したり市民監視に抗議したりするのは当然のことである。
 私は電気代不払いの運動も推進していたので、そういう活動が過激とみられていたようだ。週刊誌『AERA(アエラ)』(朝日新聞社発行)は、私をまるでゆすりのようにあつかう記事を載せた。1994年のことである。それ以来、朝日新聞の購読はやめた。


エネルギー政策の転換をめざす

     ──反原発運動の課題や今後のとりくみを教えてください。

【富山】「さようなら原発1000万人アクション」は「脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」をつづけている。署名は今年4月13日現在で約850万集まっている。そのうち838万筆は安倍首相と衆参両院議長に提出済みである。
 節目節目で大規模な集会やデモもおこなっている。首都圏反原発連合(反原連)や「原発をなくす全国連絡会」などとの統一行動も繰り広げている。各種世論調査では「原発いらない」が過半数を超えている。日本では原発稼働ゼロが1年半以上つづいている。今月14日は、福井地裁が関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を差し止める仮処分決定を下した。これらは反原発運動の成果でもある。
 しかし、安倍政権は再稼働をさせたがっている。原発のリプレースも問題になっている。リプレースというのは、古い原発の廃炉と並行して、同じ敷地や周辺で新しい原発を建設することである。
 リプレースや再稼働を食い止めるためには、脱原発の運動をよりいっそう広げなければならない。その一環として、9月6日に京都で大規模な反原発集会を開く。5月31日は東京・上野の水上音楽堂(上野恩(おん)賜(し)公園野外ステージ)で、9月23日は代々木公園で全国集会を開く予定だ。それぞれの地域で運動を起こしたり広げたりすることも重要になっている。
 原発稼働ゼロが1年半以上つづいていることは、原発は必要ないということを実証している。来年4月から電力小売りの自由化がはじまる。それに向けた「パワーシフト宣言」のよびかけに協力している。パワーシフトというのは、自然エネルギー社会に向けて電力(パワー)のあり方を変えていくことである。「電力小売自由化後は自然エネルギーの電力会社を選びたい」という市民の声を政府に届ける。また、それを世論としてを大きく広げ、自然エネルギー(再生可能エネルギー)の普及を後押しする。私たちは、そのようなエネルギー転換と結びつけて反原発運動を進めていく。
 平和や民主主義を守る運動も大事である。私たちは5月3日、「平和といのちと人権を! 5・3憲法集会〜戦争・原発・貧困・差別を許さない〜」と題した大規模な集会を横浜の臨港パークで開く。
(2015年4月)



■富山洋子さん
 1933年岡山市生まれ。12歳で学童疎開を体験、敗戦を迎える。高校卒業後、銀行勤務ののち結婚。1969年、日照権を守るとりくみにかかわったのをきっかけに、地域の消費者グループに加わる。以後、食べものの安全を求めるとりくみや合成洗剤追放、公害反対運動などに参加。74年、東京電力の電気料金大幅値上げに反対し、電気代を旧料金で払う運動を仲間たちとともに展開した。日本消費者連盟には、1969年の創立委員会発足からかかわった。90年に運営委員長、2000年に代表運営委員に就任、2011年に退任、そして2014年に顧問に就任した。全国自然保護連合は、1990年から2011年まで事務局員をつとめた。著書は『子どもたちになにを食べさせたらいいの?』(ジャパンマシニスト社)、共著は『反原発事典「反」原子力文明・篇』(現代書館)、『住民自治で未来をひらく』(緑風出版)など。千葉県浦安市在住。






福島第一原発事故の1か月後に開かれた浜岡原発運転停止を求める市民集会
=2011年4月10日(最前列右から2人目が富山洋子さん)



「安倍政権の暴走を止めよう!」と銘打った国会包囲共同行動
=2014年9月29日(中央左が富山さん)



「さようなら原発1000万人アクション」実行委員会の司会は富山洋子さん(左端)と
ルポライターの鎌田慧さん(その右)がつとめている=2015年4月15日、連合会館で










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