瀬戸内海を救うために瀬戸内法改正を

〜脱埋め立て、産廃持ち込み・海砂採取禁止を〜

環瀬戸内海会議 事務局長 松本宣崇





 環瀬戸内海会議とは


 環瀬戸内海会議(以下、環瀬戸)は、1990年6月、ゴルフ場・リゾート乱開発に反対する瀬戸内沿岸の市民・住民団体により結成。立木トラストでゴルフ場開発を止める運動を展開し、瀬戸内沿岸各地のゴルフ場計画を24ヶ所で白紙撤回・中止に追い込んだ。
 以後、瀬戸内海環境保全特別措置法(以下、瀬戸内法)改正の活動や、産廃不法投棄と闘う豊島住民の「美しく豊かな自然を次世代に」との思いを共有し、豊島支援に取り組んできた。


 瀬戸内海とは


 ところで瀬戸内海は、東西約450km、南北15〜55km、開口部を関門海峡、豊後水道、紀伊水道に求める、わが国の代表的な閉鎖性海域である。瀬戸内法では公有水面23,203ku、平均水深38m、容積8,815億m3。平均水深は豊後水道と紀伊水道を除けば32.5mと浅い。大小の瀬戸、湾、灘、かつ多島海で特徴付けられ、これが生物多様性をもたらし、世界有数の生産性をもたらしてきた。流域面積(関係府県13)は49,100kuであり、644本の一・二級水系の河川が流れ込み、その流入水量は500億?に達する。


 瀬戸内法成立とその後


 1960年代、「高度成長時代」を支えた開発が瀬戸内海を切り刻む。新産都市計画などにより瀬戸内海沿岸には臨海コンビナートが林立し、現在では日本全体の4分の1を占める世界でも有数の工業地帯と変貌した。もとより、コンビナートは、藻場や干潟や自然海岸の埋め立てによる喪失、建設のため海砂の大量採取という犠牲を伴った。さらにコンビナートの工業用水確保のために大規模ダムが建設され、川は分断され山林からの栄養塩の供給が著しく減少していった。
 瀬戸内法は1973年、瀬戸内沿岸の多大な漁業被害を被った漁民の運動を背に、議員立法として成立した(78年特別法として恒久化)。法の狙いは、水質汚濁物質の総量規制と埋め立てを厳に抑制することにあった。しかし、水質は総体として悪化し、埋め立ては抑制どころか、今日も依然として続いている。自然海岸も確実に減少し続けている。法成立以降の埋め立て面積は、環境省資料「埋立免許面積の推移」でも12,673ha、ところが国土地理院「市町村別面積調」に基づく沿岸自治体面積の累計では16,450ha(いずれも2001年)にも増加している。埋め立ては1940年から73年までの19,000haに比して減ったとはいえない。


 瀬戸内海と廃棄物処分


 1990年兵庫県警による香川県豊島の産業廃棄物不法投棄摘発や1998年広島県上黒島・下黒島への首都圏からの廃棄物の持込みの報道で、瀬戸内海への廃棄物処分が全国に知られるところとなった。加えて、大分県大入島のように今日も知事を起業者に廃棄物処分埋め立て護岸事業が各地で繰り返されている。
 廃棄物処分埋め立て護岸事業により海が失われる。そして藻場・干潟が失われ、人と海はコンクリート護岸で分断される。つまり、埋め立ては人と海、山と川と海の循環を断ち、生物の循環をも断っているのだ。しかも、廃棄物の無害性、護岸の耐久性補償できるのか。有害物質漏出の危険はないのか。瀬戸内海はそんな危うい状況にある。


 最後に


 筆者は数年前、沿岸各地の漁業者に話を聞く機会を得た。異口同音に答えは「最近の漁(漁船漁業)は最盛期の10%」。瀬戸内海は魚種に恵まれ、小魚がうまいと昔から言われてきた。魚湧く海、「魚島」という言葉さえ今は昔となりつつあるのか……。漁業統計では1985年頃をピークに瀬戸内海の漁獲高は激減している。
 廃棄物埋め立て護岸事業では、知事は公有水面埋立法により漁業補償に終始し、地元住民の声には耳を貸さない。しかも、起業者も埋め立て免許認可権限者も同じ知事なのである。
 環瀬戸は、生態系に視座を欠き、「ザル法」といわれる瀬戸内法を改正すべく、市民の手で「瀬戸内法改正試案」をつくり、埋め立て・廃棄物の持ち込み・海砂採取の全面禁止を明記し、法的実効力を強化すべきと訴え、国会議員へのロビー活動を進めている。

(2010年6月)






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